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プロレスラー・三沢光晴が帰らぬ人に。ご冥福をお祈りします。

日本のプロレス界を代表するプロレスラー・三沢光晴さんが、帰らぬ人となる痛ましいリング事故が起きた。

13日に広島市中区基町の県立総合体育館(広島グリーンアリーナ)で行われたプロレス団体「ノア」広島大会の試合中に頭部を強打し、心肺停止に陥いり、広島市内病院の集中治療室に搬送されたが、処置のかいなく搬送先の広島大学病院で亡くなった。46歳の若さだった。

試合は午後8時10分頃始まり、事故が起きたのは試合開始25分過ぎだった。メーンイベントの60分1本勝負のGHCタッグ選手権試合に若手の潮崎豪とタッグを組んでタイトルに挑戦。王者組の斎藤彰俊のバックドロップを受け、後頭部をマットに強打し、意識不明となった。

浅子覚トレーナーがリングに上がり、声を掛けたが、三沢さんは息をしていない状態で心臓が止まっていた。観客席に居合わせた医師がリングに駆け上がり、心臓マッサージ、自動体外式除細動器(AED)による蘇生が試みられたが三沢さんは全く動かなかった。この間リングサイドのファンから「ミサワ、ミサワ」とコールが上がり、搬送後も約2300人の観客で埋まった会場は騒然とした状態が続いていたという。

搬送先の広島大学病院の集中治療室での懸命の救命措置のかいもなく、一度も意識が戻らぬまま午後10時10分に帰らぬ人となった。

ご冥福をお祈りします。

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加藤博一氏死去。ご冥福をお祈りします。

阪神、大洋などで活躍した元プロ野球選手で、野球解説者の加藤博一(かとう・ひろかず)さんが21日午後0時54分、肺がんのため横須賀市内の病院で死去した。56歳だった。

1970年、多久工業高校からドラフト外で西鉄入り。76年に阪神へ移籍後、レギュラーに定着した。プロ入り初本塁打は、初登板の江川卓からだった。

83年に大洋(現横浜)に移籍。二番打者に定着し、85年には、高木豊、屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」を結成、3人で3ケタの148盗塁を記録した。

明るく、ひょうきんなキャラクターでファンからも選手からも人気を博し、90年に現役引退後はフジテレビの野球解説者として活躍した。

ご冥福をお祈りします。

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